【2017 グアナファト¿REVOLUCIÓN O PARTICIPACIÓN? #1. LA EXPOSICIÓN Y EL TENDEDERO(改革か参加か?)セルバンティーノ国際芸術祭メキシコ
2017.10.22-2017.10.29
2017年の初め、グロリア・マルドナード・アンソ(Gloria Maldonado Ansó)はモニカに、ロシア革命とメキシコ憲法の100周年とヨーロッパ産業革命の200周年を記念して、「革命-100年」を中心テーマにした第45回セルバンティーノ国際芸術祭(FIC)に参加するように招待した。
セルバンティーノ国際芸術祭(Festival Internacional Cervantino (FIC))は、毎年10月にグアナファト市で行われる中南米最大の国際映画祭で、1972年から続く伝統ある祭典である。
モニカがこのFICのテーマが好きだったのは、彼女は常に反戦の立場を持つフェミニストとして、戦争というテーマを取り巻く壮大で陳腐な物語に疑問を抱くプロジェクトを提案していたからであった。
性的暴力を可視化し、文化的な「革命」を促進する「The Clothesline」のようなプロジェクトを発表することに加えて、ビクター・レルマとモニカが2008年に始めた「 Yo No Celebro ni Conmemoro Guerras.(私は戦争を祝うことも記念することもしません)」のようなプロジェクトは、国家間の紛争を外交で解決しようとしているのか、しかし文化的には暴力で解決した人を「英雄」と考えているのか、という疑問を投げかけている。
また、この展覧会の主な共犯者でありキュレーターはモニカと親交の深いカレン・コルデロ(Karen Cordero)であった。彼女はテーマと形式、芸術対象とその記録と参加を考慮したフェミニズムの思想に基づいた芸術的アプローチによる展覧会の作り方を完璧に理解していたのだ。
2017年10月22日から29日まで、グアナファト大学多目的ホールで大学の文化拡張アートスペースのコーディネーターであるLuz Adriana Ramírez Nieto氏の助力で開催された。それは「Maternidades secuestradas(誘拐された妊娠)」「El Tendedero(The Clothesline)」 「 Yo No Celebro ni Conmemoro Guerras.(私は戦争を祝うことも記念することもしません)」という三つの長期参加型プロジェクトにおいて以前のドキュメントを提示し、再びそれらを活性化させようという試みであった。
モニカたちはここでもワークショップを開催し、2016年のアムネスティとのThe Clotheslineの参加者とも再会した。そこで今回の回答用紙の色はピンクだけでなくアムネスティのカラーである黄色も取り入れられた。
ワークショップのフィールドワークでは中絶反対派の団体と対話をするなど強烈な印象を残すものであった。
それは完全に意見が合わない人との間にどのように橋をかけるのかを考え始めるきっかけになった。
そしてこのThe Clotheslineでは複雑な事態が発生した。
匿名である先生を糾弾した回答があり、さらにそれに対して先生側から「名誉毀損だ」「他の先生に対してもこのような事態が起こったことがある」と指摘を受けたのだ。
モニカはいつも説明しているように、
「ワークショップの中で、私はいつも作品が暴力を可視化するための経験を共有しようとしていることを提案していますが、The Clotheslineは匿名でだれかを糾弾する空間ではないのです。なぜならそのような行為は一般的に処罰につながらず、女性に対する暴力を助長するので、逆効果であるからです」
と考えていることを返した。
エスクラッチー(匿名での糾弾)とは、集団で作った場合や、嫌がらせをしてきたり(それは個人的に、グループで、手紙などで行われる)当局に報告されて結果が出なかった場合の最後の手段として機能する苦情の一種であるが、特に大学では、正式な苦情を受け付ける手順を強化することが重要であるとして二つの行動を提案した。
一つ目は、作品中の告発に対して、反論権として反論していることで。
二つ目に、ハラスメントと名誉毀損についてのミーティングを組織すること。
それは、争い事を優れた教育的訓練に変える機会があるように思えたからであった。モニカはキュレーターや事務局側にこのことを共有し、展覧会後も継続してこの問題を整理することに備えることができるようにした。
だが、それはあまりうまくいかなかったようだった。
しかしこれらの話題を議論のために公開することは、正式な苦情を言いたい人たちを支援する方法を見つけるための手助けになった。
グラナダ大学をはじめとする一部の大学では、ジェンダーバイオレンス対策のプロトコルを定めているが、学生は必ずしもそれを知っているわけではない。
また、この種の暴力に苦しんでいる人たちが、必要に応じて法的または心理的な助けを受けられるように自分自身を組織化し、お互いを知り合い、自分は一人ではないということを知ることができるようになることが重要であるし、集団で行動した方が効果的であるとモニカは考えたのだった。
とはいえ、彼女たちは匿名の嫌がらせの証言は、それが全体的で文脈に沿ったものであれば、良い結果をもたらしてきたことも知っている。
2017年11月にモントレー工科大学でキャンパス内でのポスターや#AcosoEnLaUというハッシュタグを通して訴えたようなケースでは、当局にこの問題について行動を起こさせることに成功した。
そしてもちろん、サビナ・バーマンのように、公に謝罪したにもかかわらず、間違って非難した人を傷つけてしまったというような、誤って非難された例もあった。
そして、法的に糾弾するのは恐ろしい問題だと知っている。
いずれにしても、文化の本質を変えることは簡単ではないのだ、とモニカは語る。
モニカはハラスメントが完全に不可視化していた時代に始まったthe Clotheslineをどのように変容させていくのか、匿名の空間を開いて可視化していく必要があるのではないかという考えを常に持っていた。
今日、この問題はテーブルの上にあり、それは時に暴力的および/または支離滅裂な叫びではあるが、必要な社会的議論につながっている。
しかし、機関はまだ十分に対応しておらず、フラストレーション、再犯、暴力にさらされ、訴えられている報告者があとをたたないため、多くの報告書は匿名のままで出されている。
これは一般的に彼らの効果を無効にし、別の問題を引き起こしてしまう場合がある。
現在のClotheslineには、それぞれの文脈の中でより深いプロセスを始める方法が含まれているはずだ。
地元のフェミニスト組織ともっと接触していれば助かるだろうか。
もし大学でClotheslineが作られたら、ハラスメントについてのフォーラムを伴うべきだと提案する必要があるだろうか。
女性に対する暴力についての法的・心理学的リソースのページを作る必要があるだろうか。
ワークショップはこの議論の中心になるのだろうか。
これは今もThe Clotheslineの重要な課題になっている。
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