【2018 ブエノスアイレスLAV(Laboratorio de Arte y Violencia de Género)#4アルゼンチン】
ー番外編
LAVはプログラム外でも多くの活動が行われていた。
―マリア・ローラとモニカは、数人のアンバサダーとの交流会に参加し、LAVを発表し作品について話した。
―Peras de OlmoのGraciela Ovejero Postigoが寛大にも数人のアーティストやパフォーマーとのディナーを提供してくれた。
―大学院で研究をしているナタリア・エンシーナスと長い朝食をとり、文化報道やフェミニズムについてたくさん話をした。
―ラ・ボカの現代美術館でレジデンスをしている若い同僚に話を聞いた。
―マスコミやラジオの取材も何度か受けた。
―ハロルド・コンティ文化記憶センターで開催された「Frazadas de Valeria Budasoff」や「Myriam Jawerbaum」などいくつかの展覧会を訪れ、作家の方に作品についてお話を伺った。そこでは「Stem Cells」展が開催されておりそれはモニカがどっぷりハマった民主主義の初期の頃のフェミニスト報道が展示されていて思い出の美術館でもひとときを過ごした。独裁政権下で抑留者が到着する空間に入り、我慢できずに泣きながら帰った。
―グラシエラ・サッコの展覧会を見に移民博物館(MUNTREF)に行き、女性の本屋さんと女性博物館の目の前で、グラシエラ・テヘロ・コニと彼女のスペースや私が所属するメキシコ女性芸術家博物館(MUMA)について長居して話をしたのが嬉しかった。
―El Ateneo Gran Splendidという素敵な本屋さんにもお邪魔して、メキシコには持ち帰れないような本ばかりを見て、楽しい時間を過ごすことができた。
―マリア・ローラとマリアーノは一流のホストで、タンゴを聴いたり、コロン劇場を訪れたり、マーラ・ロドリゲスの家で楽しい家族の夜を過ごしたりした。
それはとても充実した旅になったのだった。
この旅の最後にモニカが記したのは、彼女がマヨ広場を通り過ぎて、41年前に独裁政権下で娘や息子たちが行方不明になり、殺害されたときに、その闘争が始まったマヨ広場の母親たちのデモに遭遇したことであった。彼らの苦しみと、メキシコで同じように苦しんでいる人たちの苦しみを思うと涙が出てきました、と記す。
ー閉幕後の拡がり
LAVでは企画の一つとして終了後に「経験の結果」という展覧会が開催され、ミーティングテーブルが開催された。
展覧会の様子はここで見ることができる。
第1回目は、コミュニティ、アーカイブ、リレーショナル・アートについて幅広く研究を行っているUAMの研究者であるモニカ・ベニテスが参加したほか、ジャンネット・メラド・メロとアレハンドラ・ガットーが、モニカの作品を使った経験や、LAV期間中に行われたロレーナ・ウォルファーとダイアナ・シューファーのワークショップについて語った。最後には、エル・トラピートの若者たちと一緒にダイアナ・シューファーのビデオが上映された。
2番目のテーブルでは、Escuela Normal #5の教師であるグラシエラ・モニカ・エステベス、スサナ・セガーラ、マラ・ロドリゲス・オテロ(Graciela Mónica Estévez、Susana Segarra、Mara Rodríguez Otero)がThe Clotheslineでの経験を話し、その後3人の生徒もトークに加わった。The Clotheslineを学校の公式活動の一環として取り上げたのは今回が初めてのことであった。下記がその動画である。
これらのアルゼンチンでのThe ClotheslineはLAVの閉幕後もさまざまな広がりを見せた。
ラ・ヴェルディで行ったフェミニスト・アート・ワークショップには、マーラ・ロドリゲス・オテロ、スサナ・セガーラ、グラシエラ・モニカ・エステベスの3人が参加し、彼らは後にこのプロジェクトを自分たちの学校に持ち帰り、2度にわたって再活性化させた。
1つ目はエプロンをつけたまま街に出て回答を集めるというもので、2つ目は学校内での活性化であった。
さらにクロージングのときに参加したメンバーから自らも開催したいと連絡があった。彼女の近くにあるMaipúTechnical Schoolで、いじめで自殺したトランス男性がいたので、それをテーマにしたいということだった。
モニカは彼らの話を聞いて、彼らがこの作品を完璧に理解していることは明らかであり、彼らが抗議のためにこの作品を使うことができると感じていることにとても感動した。
ーartMA
La Verdiの活動の中でarteMAという団体と知り合い、おたがいに意気投合した。
10月末、arteMAメンバーのアマリア・ボゼッリは、2018年11月にUNSAM 12,13,14,15日に開催される第4回位ポストコロニアル学術会議(IV Congress of Postcolonial Studies)と第4回ポストコロニアルフェミニズム会議IV Conference on Postcolonial Feminism (Bodies, Imaginaries and Processes of Contemporary Radicalization in South)の芸術プログラムに招待され、彼らのアクション「Vomite todo aquí」との対話の中でThe Clotheslineを開催することを決めた。
それは、デルタの葦とロープを使って自分たちでThe Clotheslineを立て、めずらしくも美しい緑色のThe Clotheslineであった。
この時に作られた質問は
言葉を通じて暴力が体から出てきて、それを太陽にさらしたらどうなるのか、
飲み込めなくなったものを吐いた後、どうやって生きていくのか
というものであった。
ーオンブズマン事務所
2018年7月29日はLAVでのモニカの講演を聴講したマイア・シュワルツ(Maia Schwartz)からジェンダー平等のための地域リンク(Enlaces Territoriales por la Equidad de Género)として公共空間でThe Clotheslineを行いたいという提案があった。
それは8月28日、ブエノスアイレスのオンブズマン事務所で開催された。
彼女は「自分自身を侵害し、言葉にする/共有するという運動が、私たちを癒し、内包しているように思えます。私たちは、ブエノスアイレスのオンブズマン事務所で、安全保障とジェンダーに関する議論の枠組みの中で、The Clotheslineを実施しました。あなたの作品とフェミニズムとの融合は、私にアートを再び信じさせ、信頼させてくれます。」とフィードバックを送った。
ーEncuentro de Creadora
LAVのイベントに参加したマヨ・ビダルMajo VidalはThe Clothelslineをコロンビアに持っていき、9月19日から21日にかけて、La Artivista主催のEncuentro de Creadoraで開催した。
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